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ハリウッドは「聖なる林」とにいう意味ではなかった

映画の聖地「ハリウッド」の語源が、「聖なる林」という意味だと聞いたことのある人は多いだろう。実際、日本ではハリウッドのことを「聖林」と書くこともある。ハリウッドの「ハリ」を、英語の「HOLY(聖なる)」と捉えたわけだが、じつはこれはまちがい。ハリウッドは、「HOLYWOOD」ではなく「HOLLYWOOD」。「HOLLY」は「ヒイラギ」の意味になる。つまり、ハリウッドは、「聖なる林」ではなくて、「ヒイラギの林」という意味なのである。では、ハリウッドの地は、かつてはヒイラギの林だったのか?その答えは、これも違う。この地がハリウッドと命名されたのは、一八八七年のことだが、当時、ロサンゼルスの西、ハリウッド一帯には、豆畑やオレンジの果樹園が広がっていた。ヒイラギの林なんてどこにもないのに、どうしてそんな地名をつけたのだろうか?ハリウッドの地名を命名したのは、当時、この土地を所有していたウィルコックスという男の妻。彼女は、たまたま東部のヒイラギ林の話を聞いて、それがたいへん印象に残っていた。そういうわけで、夫が土地を分譲するとき、「ハリウッド」と名づけて売り出したのである。むろん、そのころ、ハリウッドの地は、映画とは何の縁もなかった。ハリウッドが映画の聖地となったきっかけは、一九一一年、この町のある酒場に、ニュージャージーの映画会社がロケにやってきたことにある。その酒場は、禁酒運動のためにさびれかけていたのだが、その古くささが、西部劇の舞台に雰囲気がぴったりだったのだ。これがきっかけで、この地に、映画関係者がやってくるようになった。翌年には、ユニバーサル映画の創設者のカール・レンメルが、ハリウッドに事務所を開き、その翌年には、セシル・B・デミル監督がこの地を訪れた。しかし、いざやってくると、映画関係者たちは、ハリウッドの地が映画撮影に理想的だと気がついた。撮影に必要な広い土地があり、雨が少なかったからである。地元の人々は、はじめ、映画関係者たちに渋い顔をしていたが、映画撮影がさかんになるにつれて町が活気づいてくると、映画撮影を歓迎するようになった。かくてハリウッドは、映画の聖地となったのである。

ホテル・コンソーシアムの眼

「ホテル・コンソーシアム」というのは、系列に属さない、小さくていいホテルを特定の基準で選んで、予約やインフォメーションの代行を行うところである。言うなれば、「ホテルを選ぶ眼」だけで商売している専門企業だ。ホテルを見る「いい眼」を持つには、まずこうした専門業者の選び方を見て、ヒントにするといい。例えば、小さな穴場ホテルと数多く提携している、フランスのホテル・コンソーシアム、「ルレ・エ・シャトー」(Relais&Chateau)は、次の5つの「C」で加盟するホテルを選んでいる。・Caractele個性・Calmnes静けさ・Charms魅力・Cuisine食事のおいしさ・Courtesy礼儀こうしたホテル・コンソーシアムの加盟ホテルは、高級な所が多いが、泊まらずとも現地に行ったついでに、お茶やレストランなどを利用して中を見学してみればいい。ホテルはまさに百聞は一見にしかず。ガイドブックであれこれ選ぶのもいいが、何より行ったついでに、街中のホテルをあれこれ利用し、気に入った所を自分の眼で確かめてみることだ。世界の主なホテル・コンソーシアムを表にまとめておいた。毎年その契約ホテルが替わるので新しいカタログを取り寄せて、自分の旅行地にどんなホテルがあるか、チェックしておくといいだろう。

急流をすけすけの足下にみながら渡る

吉野川は紀伊水道へ流れ込んでいくのだが、その三角州の南部に徳島市がある。豊臣秀吉の重臣で、三河矢作川の橋の上でのエピソードで有名な蜂須賀小六の息子である正勝はこの地にあるイノシシに似た形の猪山に築城し、字を風格があるよう潤山と改めた。それを江戸時代に付近の地名の一つを取って徳島というめでたい名前にした。この町が一気に燃え上がるのは八月の阿波踊りのシーズンであるが、最近では、徳島でのイベントの際には、一年中、「連」がアルバイトでホテルの宴会場で阿波踊りを披露し、踊り方を教えてくれる。県立の観光物産館「アスティ徳島」では、阿波踊りや、もうひとつの伝統芸能である浄瑠璃をコンピューターで制御する人形が演じる。明石大橋の開通で関西から徳島への交通は便利になったが、大鳴門橋は一九八五年に完成しており、阪神・淡路大地震のときには救援ルートとしても役に立った。この橋の下の鳴門海峡は潮の満ち引きで起こる渦潮で有名で、NHKの朝の連続テレビ小説「うず潮」(林芙美子原作)のタイトル・バックに出てからより知られることとなった。鳴門大橋の橋のたもとにできたのが大塚国際美術館である。地元の大塚薬品が滋賀県の信楽にもっている関連会社で大塚オーミ陶業というのがある。ここでは、長期にわたって色が変色しない大型の陶版に写真などを焼き付ける技術を持っているが、これを利用して古今の名画一〇〇〇余点を一堂に集めた。とくに大迫力なのはルネサンス初期の画家ジオットの手になる新約聖書物語をテーマにした壁画があるイタリア・パドバのスクロバチェニ礼拝堂などの遺跡や教会の壁画を環境空間ごとそのまま完全復元したもの。南西部の山中にある平家落人村として有名な祖谷地方には、かずらの木のつるで編み上げた「かずら橋」がある。急流をすけすけの足下にみながら渡るスリリングなものである。