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「中学受験」を選んだ理由

「中学受験」を考えるきっかけは、自分が教えている「受験クラス」の学習内容にあります。『予習シリーズ』に初めて取りかかった頃は、「内容」の難しさに、いささか抵抗を覚えたものでした。ところが公立教育がますます簡単になってきている現状の中で、この『予習シリーズ』の内容には、考える力を養うあるレベルが保証されていて、その昔、自分たちの小学校時代に、友達と競って見つけてきた難しい問題の数々が、体系だってまとめられています。こういう学習を「自分の子供にもやらせたい」、というのが最初のきっかけだったと思います。また、塾に関わってくる学生講師のなかに、「中学入試」の経験者が多く、そのほとんどが小学生の頃の学習を肯定的にとらえている、ということも心を動かされた要因のひとつです。私立の各学校の個性的なあり方にも魅力を感じました。公立の三年ごとに内容が区切られることでのロスを私立は中高六年間の連続のなかで、余裕を持って系統的に指導しています。当時「中学入試」には様々な批判もあり、幼い子供達を競争に駆り立てる親たちの姿がドラマ化されたりもしました。進学をめぐっての事件もいくつか記憶しています。個々の事例はともかく、自分の子供の進路については何らかの結論を出さざるを得ないときが来ました。我が家では、ともかく中学入試から六年間一貫教育を経て、そして大学受験へというひとつの道を選んだのです。

有名校に合格するためには

六、七年前の灘中学の合格発表は、受験界にかなりの衝撃を与えた。小学校の内申書に記してある児童の欠席日数を、合否の判定基準に加えたからである。学力的には合格ラインを超えていた数人が、欠席日数が多いという理由で不合格にされた。読者の中には、なぜ欠席日数が多いと不合格になるのか、不思議に感じる方もいると思うが、それには次のような事晴があった。十年程前から、関西方面のある有名な進学塾の経営者が、「有名校に合格するためには、学校(小学校)の授業は役に立たないから、休んで受験勉強に専念した方がよい」といった内容のことを親や児童に話していたという。(いまだにこの地域では中学受験熱が冷めていないので、公立小学校を軽視する傾向がある。)これが伏線となって、先の灘中の「英断」につながっていったと言えよう。学校の勉強は本当に役に立たないのかどうかを、ちょっと考えてみることにしよう。

友人などの余計な雑音には耳を貸さない

入試が間近に迫ったら、友人などの余計な雑音には耳を貸さないこと。これが基本です。その例外は、予備校の先生からの受験情報。その情報だけは、事情が違ってきます。言うまでもなく、予備校の先生は受験指導でメシを食っているのです。大方の先生はいかに受験生を合格させるか、日夜頭を悩ませ、必死に努力しています。受験情報に関しても、あらゆる手段を尽くして収集しています。もちろん、分析力もありますから、ただ単に受験情報をうのみにすることもありません。長年の経験と知識から、「○○大学の入試問題に、今年はこういうのが出そうだ」と予測できるわけです。ですから、予備校の先生からの情報はかなり出題確率の高い情報だと考えていいでしょう。その場合、予備校の先生のアドバイスに従って問題に取り組んだとき、もし理解できないようだったら、躊躇することなく質問しなければなりません。分からない問題を分からないままにしては、心の動揺が広がるだけ。アドバイスに耳を貸したことが、かえってアダになってしまいます。その意味でも、予備校の先生とは、平素から親しくしていることです。予備校選択の際にも、気軽に質問できるシステムを導入しているか、を目安にすべきでしょう。